STATEMENT

制作全体を貫く関心に「コミュニケーションの危うさ」がある。自分が思う自分と他人が見る自分との間の距離、いわば「ズレのようなもの」に焦点を当てて作品を作ってきた。例えば初期の看板作品は、イメージと商品そのものの距離やズレをテーマとしている。人間が二人いればいつでも起こるような何気ない誤解や誤読を含んだミスコミュニケーションこそが人間が本来有すコミュニケーションの根源的な形態であると捉え、重要なモチーフであると考えた。あるいは大衆が熱狂するプロパガンダのような形式をコミュニケーション批判として批評的に用いてもきた。

最近特に関心を抱いているのは、記憶と事実の距離である。仮に誤った記憶を言葉にした瞬間に、言葉にした事実が生まれることがある。複数の曖昧な記憶が、記された歴史を揺さぶることもある。「小さなもの」と「大きなもの」や、虚と実が行き来して溶けるような感じがしている。素材それ自体は問題ではなく、まだ起こっていない何かを鑑賞者に想起させ、時には実体をともなった現実の風景としても立ち上がると良い。この「可能性のようなもの」自体が作品なのだと捉えて実践している。