「踏み絵」
ふと今の私に死と引き換えにしても「踏めないもの」ってあるだろうか、と考えた。
そして、踏まなければ処刑されるなどという状況はありえるだろうか、とも考えた。
いわゆる「踏み絵」はもう存在しえない。もし目の前に「踏み絵」が存在しえるとしたならば、それは私にとって「踏めるけど、踏まなくてよいもの」としてではないだろうか。
「踏めるけど、踏まなくてよいもの。」
その言葉が現代の空気をとてもうまく言い当てているように思え妙に納得した。そんなことの象徴として「細川ふみえ写真集」を用いて「踏み絵」を作成した。半分冗談のような思いつきであったが、あまりにしっくりときてしまい実行した。雲仙と島原城といった観光地に何の解説もなしに設置した。観光客はときにはニヤリと、ときにはいぶかしげな表情を浮かべ、そこにははじめから何もなかったかのようなそぶりで通り過ぎてゆく。その光景もまた私には不思議としっくりときた。このとき、「FUMIE」はそんな現代の空気をほのかにあぶり出す「踏み絵」としてたしかに機能していたのである。